16/10/2015
Mosquée et Ladurée いよいよ残る時間が秒読みになってきた。その時間をどこで過ごそうかと思いながら、昔なじみのティーサロン、といってもモスクつまり回教寺院の庭なのだが、そこのミント・ティーを飲まなくてはという気持ちになってアパルトマンを出た。朝から降っていた雨もほぼ止み、空気がどこか柔らかい、靄がかかったような天気になった。
モスク
Mosquée歩いていける距離、パンテオンの丘をモンジュ通りに向かって下っていく。ちなみに通りの名前の主、モンジュさんはフランスが誇る名だたる数学者ということを出身地のボーヌで始めて知ったばかり。そのモンジュ広場を越えて植物園の裏側にモスクがある。金曜日というので休みと思っていたら、ガイドブックには年中無休とあった。昔はなんとなく知る人ぞ知るという感じの風情で、少しエキゾチックな雰囲気、よくここで友人たちとお茶をした。案内したクラスメートは、モスクの中庭で飲んだミントティーのことを、後に思い出として語ってくれた。モスクの前は大きな銃を携えた憲兵がパトロールカーの脇に立ち警備をしている。後で聞くと、ユダヤ教の学校前などもいつも憲兵がいるそうだ。
モスク内部
Cour de mosquée冬の季節で、中庭はテントで覆われ、暖房もされていて、夏には涼しげな水音をたてる中央の噴水も単なるインテリアになってしまっていた。軽いスナックとミント・ティーを注文し、見回せば、家族連れ、一人でお茶を飲んでいる女性、談笑する二人の男性、テントの中に入ってきて一列に並んで暖を取っているスズメ、そのの写真を撮っている男性、そこに待ち合わせをしていたらしいアラブ系の若い女性が二人、それぞれの時を過ごしていた。昔はポットで供されたような気がするのだが、今はグラスで配られるミントティーの味は、どこか観光客向けで味気がないように感じた。
学生デモ
manifestation d'étudiants外に出て、目の前のバス停から都心に向かうバスに乗る。少し進んで、パリ大六大学の手前まで来たところで道路が封鎖されていて、バスはここから進めないので降りるようにとの運転手からの指示がある。そこそこの人数が乗っていたが、仕方なくぞろぞろと降りる乗客に倣って下車した。見ると、大学生が大挙してデモをしているところ。デモ行進であればいずれは進むのだが、様子を見ていると、道路を占拠して盛んに演説が続いている。これでは封鎖は解けないとあきらめて地下鉄に向かう。
学生たちの主張はよくはわからないのだが、教育体制について、何らかの要求をしているようだ。こうした光景は今の日本ではみられなくなっているが、団塊世代の端くれにいて、当時70年闘争の真っ只中に大学入学した。ミッション系の私立大学でもご他聞にもれずキャンパス封鎖とロックアウトが続き、入学した1年は程なく過ぎた。リベラルと自称したノンポリ学生が私自身であるが、ヘルメットをかぶってデモ行進の最前列にいた友人達も、今はそれぞれの道を進んでいる。
都心の用事を済ませ、さて夕方までの時間をどうしようかと、足の向くままに進んでいくと、いつの間にか高級服飾店が連なるフォーブル・サントノーレに出た。この通りに面した有名ブランド店、その建物の最上階にいた韓国人の友人H、昔の使用人部屋の名残に住んでいるため、エレベーターもなく毎日7階分ほどの階段を上り下りしていたことを思い出す。ここで香港から来た華人のCと一緒に集い、お茶や冷麺をご馳走になったり、語り合ったものだ。華人のCは後に香港で再会したときに、手術をしたと言っていたが、ほどなく連絡が途絶え、住所や電話も追ってみたが消息はわからなくなった。Hは8年の留学生活を終えて、現在ソウルの大学で教鞭をとっているが、東日本大震災以来旧交が復活した。原発事故で壊滅的になったと報じられた日本の生活を案じ、「すぐにお母さんとソウルに避難しなさい!」とHから電話がかかってきた。そのお礼が言いたくて、数年前にソウルを訪ねた。髪は白くなったが、変わらないHと涙の再会、二人で香港華人のCとの思い出を語り合った。帰ったら、一緒にフランス語を学んだ学校を訪れたことを、写真を添えて報告しよう。
ラデュレ
Ladurée
そのままコンコルド広場に向かう途中、マドレーヌ寺院の前まで来て、再びお茶を飲みたくなってラデュレのティーサロンに入った。日本でも最近や有名になって人気のある菓子店でもある。もともとサロン・ド・テ(ティーサロン)はカフェとは異なり、すこし気取ったところがあるのだが、マドレーヌのラデュレとなるとインテリアもさらに格調ある雰囲気。ファッショナブルで気取ったお客に混ざり、観光客も多く詰めかけている。流行の菓子で、この店の売りになっているマカロンは東京にもいくらでもあるので、レモンのタルトとお茶を頼むと、タルトはため息がでるほど美味しかった。
霧に煙るエッフェル塔
Tour Eiffel dans la brumeコンコルド橋と国会
Pont de la Concorde et la Assemblee Nationaleコンコルド広場は、2ヶ月前の8月18日にパリに着いて、翌朝真っ先に来た場所だ。まだまだ夏の盛りだったが、今は秋から初冬にかけての装いになり、特に今日は全体がまるで紗をとおして見るようにぼんやりした景色だ。エッフェル塔も上部は霧の中に隠れている。セーヌ川の対岸、国会議事堂に向かってコンコルド橋がかかっているが、隣にある金の像を擁いた壮麗なアレクサンドル三世橋とは異なり、シンプルに真っ直ぐに伸びている佇まいがスカッとしていい。セーヌの橋のなかでも特にお気に入りで、この橋には特別な思い入れがある。橋を渡れば正面は国会議事堂、サンジェルマン大通の始まりでもある。パリはどこをとってもそれぞれ異なる趣をもち、それぞれの魅力を競い合っているかのようだが、この大通りに出るとなぜかいつもほっとする。今日はバスの中からサンジェルマン・デ・プレ教会に向かってご挨拶。
交通機関の地図、パリの生活のバイブル
Lecture de Paris, le métro, RER et le bus,
c'est mon bible夜は、今回の滞在でも大変お世話になっている友人のNさん、Dさんご夫妻に、お礼のディナーに付き合っていただく約束だ。地下鉄の路線はわかっているつもりだが、念のため確認する。バスと地下鉄の地図が裏表に印刷された交通機関の地図も、綻びてぼろぼろになっている。パリでの私のバイブルと名づけていた地図だ。
何度かその前で待ち合わせをしたレストラン、"プティ・ボファンジェ”でのディナーもデザートに続きカフェまで進む。「来年、日本でまたお会いできますね」と再会を約す。お二人に車で送られながらパリの街を横切り帰路につく。ライトに照らされた夜のノートルダムも美しい。